これからの人間にとってとても大事なことだけを言おう。
今人間社会がどこかで根源的におかしくなっているのはなぜか。
どういう方向へ突破していけるのか。
原因と解決の方向について届け続けよう。
2006年9月18日
●もっとも原生的な生命クオリアとは?
なんだか、途方もない疑問を抱え込んでしまった。
長年生命のクオリアに耳を澄ましてきた。
生命クオリアほど
精妙で深い味わいを持つものはほかにない。
生命はいつもゆらいでいる。
それも無数の多次元を横切って。
元気が出るかと思えば
知らぬ間にくぐもっている
息苦しさ
底抜けの明るさ
へこたれなさ
微妙な震え
激しい衝動
甘いゆらぎ……
いのちのクオリアの中には
ほとんどすべてがあるといっていいほどだ。
そして、このなかで
もっとも根源的なクオリアとは何かを問う。
なぜこの問いがやってきたのか
自分でもよく分からない。
ただ、無性にそれをつかみたい。
明日にそれを聞かば夕べに死すとも可なり
というほどのものだ。
それがつかめたら、すべてのものとの
透明なつながりが明らかになる。
いのちとクオリアとのつながり
生命と非生命とのつながり
生命と宇宙とのつながり
そんな途方もないなぞが
少し解けるのではないかと
夢想している。
実際、この宇宙のあらゆる質量やエネルギーが
ひもの共振パターンの変化によって
生成しているとしたら、
あらゆるものは永遠に更新し続けているわけだ。
生命だけが自己増殖しているのではない。
あらゆる物質もエネルギーも
永遠に自己増殖し、しかも長い歴史の中で
多様化してきたのだ。
自己増殖も多様化もひとり生命だけの特性ではない。
もともと宇宙のひも共振パターンは
ゆらぎを含んでおり、
無限の多様性を生み出す性質を持っている。
だとしたらいったい、生命独自の特性とは何か?だ。
これまでの生命の定義は、
最新のオートポイエーシス論をも含んで
いまなお不十分すぎる。
それらは生命独自の特性を
まだ十分にはつかみきっていない。
からだの闇を掘っていると
こんな途方もないなぞに出くわしてしまう。
途方もなさすぎて
また、楽しからずや、だ。
2006/09/22
<自分の全体>について
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2006年9月11日
●ツリー思考とリゾーム思考
システマティックな思考とは、
ツリー型の二元論的思考のことだ。
あらゆるものを二元的に区分する。
良い―悪い
on-off
プラス―マイナス
好き―嫌い
役に立つ―役に立たない
敵―味方
自我意識はこの二元論的思考に
脳髄深くとりつかれている。
これに対し、
夢や下意識は
リゾーム型の多次元思考をする。
非二元といっても良い。
本当は世界の実相は非二元、
あるいは多次元的である。
ひも共振の世界がもし
世界の実相であるとすればの話だが。
そこでは何もふたつに分かつものはない。
分かつのは自我のような思い込みによってだけだ。
私は長年自我のツリー型思考に囚われてきた。
若い頃は初期の頃のコンピュータや
ワープロのマニュアルをたくさん書いた。
最初のワープロは液晶画面がたった一行だった。
それでも、キーボードから打ち込むと
文章になって現れるのが驚異だった。
技術者と一緒になって創りあげてきた。
技術者はもうほとんど人間の言葉を失いかけていた。
機械語のような不自由な言葉を
人間のユーザーに分かるものに通訳してきた。
いつの間にか私もコンピュータの二元思考に
脳髄深く毒されていた。
人間の心の動きをどこかでなくしていった。
その恐ろしさに気がついた私は
必死で身をよじり、舞踏の世界に転進した。
そのとき以来、次第に
コンピュータ的な二次元思考を捨てていった。
機械のマニュアルが読めなくなった。
インドへ来てからは、
まったく二元論的高度な思考ができなくなった。
その代わりにリゾーム的な流動的思考をするようになった。
簡単なツリー思考はいまもできる。
もともとツリー思考のほうが低次元なのだから。
だが、もうすべてを二元論的思考で割り切ろうとするような
馬鹿な真似はする気がなくなった。
いまも世界中の科学者はそうしている。
二元論を推し進めた粒子論的立場を取る
物理学の標準理論では、
重力を含んだ宇宙が捉えきれないのに
その無理を闇の中に封印している。
宇宙はもう、共振原理に転換しないと
これ以上解明が進まないところまで来ている。
ツリー思考と、リゾーム思考を
うまくミックスさせる思考法を発明する必要がある。
いくら世界の実相が非二元だといっても
リゾーム思考だけではうまく記述できない。
言語は近代に入って二元思考の産物として発展してきた。
流動的知性の比喩やメタファーを
使いきれる人が少なくなった。
詩人はだんだん滅びていった。
どうして回復できるのか。
分からない。
わたし自身二元思考に囚われた意識と
リゾーム的に変容流動する
サブボディに大きく分裂している。
一日のうちでこちらからあちら、またこちらと
何千里も往復しなければならない。
ここから先が、透明論の課題だ。
やれやれ、先は長いなあ。
2006/09/12
クオリア流動覚を開く
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2006年9月10日
●クレニオセイクレルと催眠療法
ダラムサラのチベット人元政治犯の
人たちの拷問後遺症を癒すために
アメリカのシアトルから、
9人のクレニオセイクレルの技能を持つ人たちが、
来印して、治療にあたるというプロジェクトが進んでいる。
いまちょうど半分の日程が済んだところだ。
当初もっとも心配されていた、
チベット人たちが続けて治療を受けに来るかという問題は、
26人のチベット人たち全員が毎日受けにやってくるということで、
杞憂に終わったようだ。
誰もが何がしかの気持ちよさや、
効果があるという手ごたえを得ているようだ。
私もかれらから、クレニオセイクレルを受けてみた。
ちょうどゆらぎ瞑想で
超微速のゆらぎに移って、
サブボディ(下意識)モードに切り替えるときの
速度と同じゆっくりさでからだに触れ、
微細なからだの闇のクオリア流動を促す手法だ。
これなら効くだろうと思った。
触れ方のバリエーションなどいろいろ学ぶものがあった。
もともと私は自分がからだに対する手技を受けるのが大好きなので、
世界中の手技を受けて回った。
その中から下意識に働きかけるもっともよい触れ方を総合している。
クレニオセイクレルは、もっとも微細な触れ方のひとつだ。
タイ山岳民のアカ族のマッサージも
肌にそっと触れ続けるだけのほのかなものだった。
イスラエルのヒーラーのハリーの手技も
からだのゆらぎをそっと増幅するものだった。
レイキのようにまったく触れずに手をかざすだけのものもある。
生命体はもともと微細なひも共振レベルで共振しているし、
微細次元のクオリアを感じ取る力を持っているのだから、
フィジカル以外の共振を感じ取っているのかもしれない。
東洋の<気>とは、
そういう未解明の不可視の相互作用をさしているだろう。
私自身にとってもこれから究明していかねばならない
広大な闇が拡がっている。
リーダーのリサは、
催眠療法もやるというので
それも受けてみた。
シアトルのジャックという仏教系の催眠療法の技術だが、
意外な導入方法を持っていた。
リサは会うなりいきなり
とうとうとその療法の理論を述べはじめた。
特異な心理学用語を多用するので対応に骨が折れる。
ルンタプロジェクトの高橋明美さんに通訳をお願いしたが、
それでも理解に四苦八苦だ。
小一時間話すうちにだんだん頭が痛くなってきた。
uncomfortableと、disturbingの違い
についての話題になったあたりで、
とうとう我慢できないほど気分が悪くなって話を中断して横になった。
すると、その瞬間を待っていたかのように、
リサは催眠的な導きをはじめた。
からだのなかの怒りを感じつづけて、
その体感のイメージを語るように言う。
それを語っているうちに、その怒りを解き、
自分の中のハイヤーセルフに会うたびに招待するという。
ハイヤーセルフなど信じない私も、
論争する気にはなれず、
まあいいやと導かれるまま旅に出た。
近所の野山の道を歩いているところを思い浮かべる。
やがて、動物の導き手が現れる。
わたしは犬を思い浮かべた。
その犬に導かれて歩いていると、
小屋がある。
ドアを開けると誰かがいる。
老人だ。
だがあまりに元型的な老賢者との出会いという
ストーリーに抵抗が生まれたのか、
老人のイメージは壊れ、
アメーバのように溶け出した。
俺らしいなと思っていると、
それはハイヤーセルフではなかったようだ。
もっと旅を続けようという。
歩いていると洞穴とかがあるかも知れない
というリサの暗示に従って、
わたしにも洞窟のイメージが湧いてきた。
今度の洞窟には長い髪と髭をのばし老人がいる。
老人になにか贈り物をしようというので、
ポケットを探すと笛が出てくる。
笛を老人に渡すとかれはそれを口の中に入れてしまう。
老人がなにか贈り物をしてくれるというので、
口にいれた笛がベルに変容して出てくる。
それが老人からの贈り物だ。
そのベルがからだに溶け込む。
黄金の光に包まれて輝きだす。
リサの誘導も手伝って、
そういう夢のようなイメージが浮かんだ。
よくあるイメージだと思うが
下意識は暗示に抵抗できない。
気づいても動でもいいやと思えてしまうのだ。
半催眠状態の中で、
おっ、このベルは共振のシンボルではないか、
俺らしい贈り物だなと気づいた。
俺はからだに共振のシンボルの黄金のベルを入れて、
ひとびとに共振のよさを伝える仕事がしたいのだという
メッセージを内なる下意識から受け取ったわけだ。
催眠から目覚めると胃の痛みも消えすっきりとしていた。
自己イメージがすっきり通った。
なかなか心地よい体験だった。
リサの催眠療法はこうして
自己の下意識との交通を促すものらしい。
自全に出会うよい手助けになる。
当初、わけの分からない話題でクライアントを混乱させ、
意識をストップさせてしまうという手口は
なかなか見事なものだった。
まんまとかかった。
私も、朝から灰柱で歩きながら
胎児になりこむ瞑想歩行続けて、
催眠を受ける準備を整えていたので、
かかりやすいからだの状態になっていたようだ。
じつは、サブボディメソッドでもよく似た手を使う。
意識では追いつけないほどの課題を
次から次へと生徒に与えて
意識など使っていては間に合わないという状態を作り出すのだ。
同時に足の裏にかかる重心のゆらぎと、
呼吸と、内呼吸による快感に同時に耳を澄ます
というような芸当は意識にはできない。
必然的に下意識モードになっていく。
世界にはじつにいろいろな手法がある。
だが、それらに共通しているのは、
日常的な自我への囚われから逃れ、
下意識を含む自全に出会うということだ。
それを考慮すれば、
あらゆる心理療法や身体療法の位置が見透かせる。
ジェンドリンのフォーカシングは、
自全の咸じる不全感に注目して
その意味を受け取ろうとするものだ。
ミンデルのプロセス指向心理学は、
そこで受け取った微細なサブシグナルを増幅し、
一次プロセス(日常体のアイデンティティ)と
それを超えて新しい自己を求める二次プロセスとが
ぶつかり合うエッジに直面させて
、エッジを乗り越えていく自全の旅を促すものだ。
野口整体は、
下意識のからだから自然に出てくる動きを増幅する活元運動や、
それを二人でシェアする相互運動を通じて、
自全と交通のよい心身を養成していく。
サブボディメソッドは、
それらの動きをさらにサブボディ舞踏にまで
創造することを通じて、
自己心身を一新する。
おそらく、世界中で、
これらすべてのプロセスを総合的に見通せている
もっとも透明度の高い技法だ。
上に述べたすでに定評のある優れた方法に比べ
後から生まれてきたのだから、
当然のことといえばそれまでだが。
サブボディメソッドは、これから、
生命の持つ共振と創造というふたつの本性に向かって
人々がじょじょに解放されていく道を切り開いていこうとしている。
そのためにさらに、なにをしなければならないのか?
関連記事を読むには、
サブボディ舞踏スクール ヒマラヤ
http://subbody.com/へどうぞ
2006/09/11
クオリア流動覚を開く
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2006年9月10日
●クレニオセイクレルと催眠療法
ダラムサラのチベット人元政治犯の
人たちの拷問後遺症を癒すために
アメリカのシアトルから、
9人のクレニオセイクレルの技能を持つ人たちが、
来印して、治療にあたるというプロジェクトが進んでいる。
いまちょうど半分の日程が済んだところだ。
当初もっとも心配されていた、
チベット人たちが続けて治療を受けに来るかという問題は、
26人のチベット人たち全員が毎日受けにやってくるということで、
杞憂に終わったようだ。
誰もが何がしかの気持ちよさや、
効果があるという手ごたえを得ているようだ。
私もかれらから、クレニオセイクレルを受けてみた。
ちょうどゆらぎ瞑想で
超微速のゆらぎに移って、
サブボディ(下意識)モードに切り替えるときの
速度と同じゆっくりさでからだに触れ、
微細なからだの闇のクオリア流動を促す手法だ。
これなら効くだろうと思った。
触れ方のバリエーションなどいろいろ学ぶものがあった。
もともと私は自分がからだに対する手技を受けるのが大好きなので、
世界中の手技を受けて回った。
その中から下意識に働きかけるもっともよい触れ方を総合している。
クレニオセイクレルは、もっとも微細な触れ方のひとつだ。
タイ山岳民のアカ族のマッサージも
肌にそっと触れ続けるだけのほのかなものだった。
イスラエルのヒーラーのハリーの手技も
からだのゆらぎをそっと増幅するものだった。
レイキのようにまったく触れずに手をかざすだけのものもある。
生命体はもともと微細なひも共振レベルで共振しているし、
微細次元のクオリアを感じ取る力を持っているのだから、
フィジカル以外の共振を感じ取っているのかもしれない。
東洋の<気>とは、
そういう未解明の不可視の相互作用をさしているだろう。
私自身にとってもこれから究明していかねばならない
広大な闇が拡がっている。
リーダーのリサは、
催眠療法もやるというので
それも受けてみた。
シアトルのジャックという仏教系の催眠療法の技術だが、
意外な導入方法を持っていた。
リサは会うなりいきなり
とうとうとその療法の理論を述べはじめた。
特異な心理学用語を多用するので対応に骨が折れる。
ルンタプロジェクトの高橋明美さんに通訳をお願いしたが、
それでも理解に四苦八苦だ。
小一時間話すうちにだんだん頭が痛くなってきた。
uncomfortableと、disturbingの違い
についての話題になったあたりで、
とうとう我慢できないほど気分が悪くなって話を中断して横になった。
すると、その瞬間を待っていたかのように、
リサは催眠的な導きをはじめた。
からだのなかの怒りを感じつづけて、
その体感のイメージを語るように言う。
それを語っているうちに、その怒りを解き、
自分の中のハイヤーセルフに会うたびに招待するという。
ハイヤーセルフなど信じない私も、
論争する気にはなれず、
まあいいやと導かれるまま旅に出た。
近所の野山の道を歩いているところを思い浮かべる。
やがて、動物の導き手が現れる。
わたしは犬を思い浮かべた。
その犬に導かれて歩いていると、
小屋がある。
ドアを開けると誰かがいる。
老人だ。
だがあまりに元型的な老賢者との出会いという
ストーリーに抵抗が生まれたのか、
老人のイメージは壊れ、
アメーバのように溶け出した。
俺らしいなと思っていると、
それはハイヤーセルフではなかったようだ。
もっと旅を続けようという。
歩いていると洞穴とかがあるかも知れない
というリサの暗示に従って、
わたしにも洞窟のイメージが湧いてきた。
今度の洞窟には長い髪と髭をのばし老人がいる。
老人になにか贈り物をしようというので、
ポケットを探すと笛が出てくる。
笛を老人に渡すとかれはそれを口の中に入れてしまう。
老人がなにか贈り物をしてくれるというので、
口にいれた笛がベルに変容して出てくる。
それが老人からの贈り物だ。
そのベルがからだに溶け込む。
黄金の光に包まれて輝きだす。
リサの誘導も手伝って、
そういう夢のようなイメージが浮かんだ。
よくあるイメージだと思うが
下意識は暗示に抵抗できない。
気づいても動でもいいやと思えてしまうのだ。
半催眠状態の中で、
おっ、このベルは共振のシンボルではないか、
俺らしい贈り物だなと気づいた。
俺はからだに共振のシンボルの黄金のベルを入れて、
ひとびとに共振のよさを伝える仕事がしたいのだという
メッセージを内なる下意識から受け取ったわけだ。
催眠から目覚めると胃の痛みも消えすっきりとしていた。
自己イメージがすっきり通った。
なかなか心地よい体験だった。
リサの催眠療法はこうして
自己の下意識との交通を促すものらしい。
自全に出会うよい手助けになる。
当初、わけの分からない話題でクライアントを混乱させ、
意識をストップさせてしまうという手口は
なかなか見事なものだった。
まんまとかかった。
私も、朝から灰柱で歩きながら
胎児になりこむ瞑想歩行続けて、
催眠を受ける準備を整えていたので、
かかりやすいからだの状態になっていたようだ。
じつは、サブボディメソッドでもよく似た手を使う。
意識では追いつけないほどの課題を
次から次へと生徒に与えて
意識など使っていては間に合わないという状態を作り出すのだ。
同時に足の裏にかかる重心のゆらぎと、
呼吸と、内呼吸による快感に同時に耳を澄ます
というような芸当は意識にはできない。
必然的に下意識モードになっていく。
世界にはじつにいろいろな手法がある。
だが、それらに共通しているのは、
日常的な自我への囚われから逃れ、
下意識を含む自全に出会うということだ。
それを考慮すれば、
あらゆる心理療法や身体療法の位置が見透かせる。
ジェンドリンのフォーカシングは、
自全の咸じる不全感に注目して
その意味を受け取ろうとするものだ。
ミンデルのプロセス指向心理学は、
そこで受け取った微細なサブシグナルを増幅し、
一次プロセス(日常体のアイデンティティ)と
それを超えて新しい自己を求める二次プロセスとが
ぶつかり合うエッジに直面させて
、エッジを乗り越えていく自全の旅を促すものだ。
野口整体は、
下意識のからだから自然に出てくる動きを増幅する活元運動や、
それを二人でシェアする相互運動を通じて、
自全と交通のよい心身を養成していく。
サブボディメソッドは、
それらの動きをさらにサブボディ舞踏にまで
創造することを通じて、
自己心身を一新する。
おそらく、世界中で、
これらすべてのプロセスを総合的に見通せている
もっとも透明度の高い技法だ。
上に述べたすでに定評のある優れた方法に比べ
後から生まれてきたのだから、
当然のことといえばそれまでだが。
サブボディメソッドは、これから、
生命の持つ共振と創造というふたつの本性に向かって
人々がじょじょに解放されていく道を切り開いていこうとしている。
そのためにさらに、なにをしなければならないのか?
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2006/09/11
クオリア流動覚を開く
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第2章
生命の特性とはなにか
●粗大次元と微細次元の両方を生きる
どうして、粗大な物質次元にその物質的身体をもつ
生命体が、微細次元のクオリアを咸知し、それを利用することが可能なのかをひも理論と共振しながら原理的に考える。
ひも理論によれば、この宇宙のすべての質量やエネルギーは、微細な7次元を含む11次元で振動するひも(別名、弦、超ひも、スーパーストリング)の共振パターンによって生み出されているとする。
7つの微細な次元は、わたしたちの日常の目には見えない微細な空間に折りたたまれている。
では、まったくわれわれはその微細な次元に触れることはできないのかというと、そうではない。
生命体とは、宇宙で唯一、この物質やエネルギーが生成される粗大次元と、非物質的な
生命やクオリアが生成される微細次元の両者を行き来することのできる存在である。これが
生命だけが持つ特性なのだ。
わたしたち
生命体は、みなクオリアを感じている。言葉として意識される以前に、
からだの奥で感じられているさまざまなものの質感・体感・実感をクオリアという。そのクオリアは物質ではないが実在する。それは、粗大に拡大した4次元時空の物質やエネルギーとはまた違った次元に存在するものだ。粗大4次元でないとすると、それは見えない微細次元で振動しているひもの共振パターンによって生み出されていると考えるほかない。
だが、粗大4次元に物質的身体をもって存在する私たち
生命体が、なぜ、微細界のクオリアを感じ、それを使って思考することができるのか。いったいどうしてそんなことが可能になるのか。
●
生命の特性
生命体はなんらかの仕組みによって物質やエネルギーが生成する粗大な4次元とクオリアが生成する微細次元のどちらをも行き来して、クオリアを駆使して
生命を維持することができるようになった存在である。
生命だけが、クオリアを使うことができる。それが宇宙において
生命だけが持つ特性である。
生命以外のものはこの特性を持たない。これまで
生命に対して与えられてきた定義の数々は、この特性を組み入れて修正される必要がある。おそらくこの特性こそが
生命の本質なのである。
生命の特性としてあげた、粗大次元の物質・エネルギーの世界と、微細次元のクオリアの世界の両方を行き来することのできる力は、
生命を特性づけるおおきなエポックとなるであろう。少し考えれば誰でも思いつきそうな当たり前のことだが、不思議なことに今まで誰も予言しなかった。
それは、これまでの人類が多かれ少なかれ、時代社会の狭い固定観念に囚われてきたからである。一方は科学に囚われ、他方の人は伝統的宗教的な観念に囚われてきた。どちらからも同時に解放されたときに私たちは真に透明な知を持つことができる。
現代の知識人たちの多くはまだ気づいていないことだが、言語意識の下部では、クオリア流動を使った思考が行われている。クオリアとは物事の質感だ。
クオリアを使った思考に仕組みは、言語を使った意識の思考のやり方とはぜんぜん違った方法で行われている。
クオリアは、それを捉えるためには、日常の粗大な意識や五感をすべて鎮め、静まり返った状態でとても微細なゆらぎを捉える特別な心身状態にならなければない。
からだの闇の下意識では、日常体の五感や意識に届けられる八覚各チャンネルのクオリア以外に、五感以外の微細なクオリア共振が起こっている。下意識の思考は、微細覚によって、このクオリア共振の具合を聴き分けていくやり方を取る。S覚サーチと名づけた。SはSubtle sense(微細覚)の略だ。下意識はこのS覚サーチを使って、Googleサーチのように、どこかの未知の情報空間から、見事に目当ての回答を探し出してくる。
全宇宙のひもはすべてつながり、何十億年も共振パターンを維持している。宇宙のどこかで起こった出来事は、共振パターンの変化として、時空を超えて、あらゆるひもに伝わる。このひも共振の海の中から、
生命は自分に必要なクオリアを探し出すことができる。
長年そのありさまがどうなっているのか探ってきた。その結果分かったことは、S覚はそのとき課題となっている問題をめぐる、ひとつのクオリアの共振パターンを自ら保ちながら、ありとある他のクオリア共振パターンとの共振具合を次から次へとしらみつぶしに当たっていく。というより、共振は自他同時に起こるものだから、起こっている共振の中から、なにか当たりのある方へ、身を投げ出していくのだ。この<身を投げ出していく>ということができるのが
生命の特性だ。生き続けようとするほうへ、無意識に身を投げ出していく。
最初の原初
生命に生じたほんのささいな志向性。これが
生命だ。生きるほうのクオリアへ身を投げ出すようにひとつとなっていくこと。クオリアに生じたこの投企の本能が、
生命だ。
やがて、
生命は、今日の単細胞生物や粘菌に見られるような原形質流動そのものを認知するクオリア覚――それは人体内でも血液や体液中の情報伝達物質流の仕組みとして今日にも続いている――や、電気信号によってより高速に伝達する原始ニューロンによる神経システム、そして、電気信号とシナプスにおける情報伝達物質流による伝達をたくみに組合せた高度な神経システムにまで進化してきた。
2006/09/07
未分類
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